それはあたしが中学2年生の頃だった
その頃、通っていた学校は
学校名を聞けば皆口をそろえて
「うわっ!○○?頭いいんだぁ。。」
と言われる程の進学校だった
もちろん簡単に入れたわけじゃない
その学校は幼稚舎から中等部までの一貫校だった
つまり幼稚舎に入ればエスカレーター式に
中等部まで(アホでも)上がれてしまうのだ
それは、一端幼稚舎に入ってしまえば
中等部まで「すごいわねぇ」といわれる
学校に所属できることを意味する
が、
言ってしまえば、一部を除く
幼稚舎から上がってきたほとんどの人達は
勉強ができなかったと思う
つまり、入ったはいいが
寝ぼけていても中等部まで上がってこれたため
この学校のペースについていけなくなるのだ
もちろん幼稚舎に入るためには
世間一般でいうお受験のようなものが行われる
一次試験として体力、知能、精神力などをテストする
ここまではたいていの子供なら軽い
問題は二次試験の抽選である
あらかじめ、その年の合格者の人数は決められており
毎年、その抽選で一次合格者の半数が落とされる
あたしはこの抽選に3回落ちた
どうしてもあたしをこの学校に入れたかった父親が
幼稚舎の試験3回
小学部の試験1回
あたしに受けさせたが
見事に全部落ちた
小学部の試験においては
一次試験に落ちてしまった
それからあたしは
小学4年から、大好きだったバレエをやめさせられ
塾に通わされた
3歳から続けていたバレエを、もちろんやめたくはなかったが
その時の父親の文句がこうだ
「バレエはまたやりたくなったらすればいい
でも、中学受験は今しかできない。だから中学受験が
おわるまでバレエはお休みしなさい」
過去4回の試験をただ受けさせられていただけのあたしは
中学受験ということばがピンとこず、混乱していたが
父親の勢いに負けてバレエをお休みすることにした
なぜバレエをやめなくちゃいけなかったのか?
塾に通えば、バレエに行っている時間などなくなるし
両立するにはお金がかかりすぎるからだと父親は言っていた
無論、大学受験が終わった今もバレエのお休みは続いている
それから中学受験までの2年間、
ひたすら勉強した
朝は5時に起きて勉強し、
学校が終わればすぐ塾の時間
帰りは夜9時頃だった
家に帰って冷め切った夕食を食べ
眠くなるのを必死でこらえながら
夜中まで勉強していたと思う
効率が悪いとかそういう問題ではない
そのくらいしなければ、課題がおわらなかったのだ
課題というのは、その日の授業でおこなわれた内容の
演習、さらに応用、そして次の授業の予習という
シンプルなものだったが、いままでのんびり過ごしてきた
小学生にはとてつもなく苦しいものでしかなかった
とくに暗記が苦手なあたしを苦しめたのが
予習であった
小学生の手には分厚くて大きすぎる教材4ページを
丸暗記するというものだった
その暗記の量がまた半端じゃなく
新聞の文字と肩を並べるほどの文字たちが
仲良く、隙間なく敷き詰められていた
それでもラインマーカーを何十本と使い切り
その分、教材はピンクや黄色に染まっていった
そのころになると、暗記するべき文字たちの上に
マーカーをすべらせることが
あたしの密かな楽しみになっていた
努力の甲斐あってか、あたしの成績は
徐々にではあったが上がっていった
すると、驚いたことに、成績があがるにつれ
あたしは勉強が好きになっていったのだ
なんというか、楽しくてしかたないのだ
月に1度行われる塾のテストで
いい成績がでるたび
思わず笑っていた
しかし、決して満足はしなかった
いつしか「中学受験合格」というものが
はっきりとした目標になっていた
あたしはその塾を信頼していた
分厚くて大きすぎる教材をぼろぼろになるまで
使い込んだ
そしていよいよ受験の日がやってきた
塾の先生が、皆に受験祈願のえんぴつと
気合いの言葉をくれた
ココロから応援してくれているのが伝わってきて
おもわず涙が溢れた
が、すぐにぐっと堪えて
試験会場に向かった
へんな話だが
あたしはこの日がくるのを心待ちにしていた
どんな問題が出題されるのか、大体予想できていたが
どんな問題が出題されようが
一つ残らず丁寧に解いてやろうと考えていた
それから数日後、合否の通知が家に届く日
あたしは学校があったため、しかたなく学校へ行った
しかし結果が気になり落ち着けずに過ごした
一般の小学校なので、皆地域の中学へ進む
なので、あたしは皆には受験のことは内緒にしておいた
あとで驚かせてやろう、というわけではなく
万が一、落ちたときのことを考えての父親の配慮だった
給食の時間、大好きな給食なのに
まったくスプーンが進まなかった
いつもと違うあたしの様子に気づいた仲良しのAちゃんが
「どーしたのー?元気だせー!」といってくれた時
教室の横の廊下に見慣れた人が立っているのに気づいた
するとその人はあたしに小さく手で「OK」の形を作ると
にっこりと笑った
あたしはそれと同時に「やったーー!」と
ほとんどキャーと叫ぶように言って飛び跳ねた
さっきまで落ち込んでいたあたしが突然嬉びだしたという
事態が飲み込めないクラスの皆からの注目を逃れるのに
苦労した
もっと苦労したのはAちゃんに事情を話すことだった
仲良だったAちゃんにも、受験の話をしないでいた
Aちゃんと「中学一緒に通おうね」とか
「一緒にバスケ部に入ろう」とか、ほかにも
毎日いろんなはなしをして、いろんな約束もしていた
あたしはもちろん受験に受かる気でいたが
もしかして。。という想いもあったため
ただAちゃんの提案に笑顔で賛成していた
Aちゃんに全てを話すとしばらく話しをしてくれなかった
お互い、今話したらかなりの確率でケンカになってしまうことを知っていたんだとおもう
それに、あたしはいっそこのままくちをきいてくれなくても
いいや、ともおもっていた
しかし心のどこかでは、Aちゃんに考える時間を与えているつもりでもあった
心の整理がついたAちゃんから、本音を聞きたかったからだ
それから数日後、きれいな白い封筒をAちゃんは
ふてくされた顔であたしに渡した
家に帰ると、ランドセルをかるったまま封筒を開けた
中には見慣れた文字で書かれたAちゃんの手紙と
見慣れないきれいな字で書かれた手紙が入っていた
Aちゃんはあたしと中学が別々になることより
そのことを秘密にされていたことが悲しいとかいていた
しょうじきむかついた、とも書いてあり、あたしは
Aちゃんの本音であろう手紙を真剣に読んだ
最後に、中学が別々になってもずっと仲良しでいてください
もうひとつの手紙はAちゃんの母親からだった
マリィちゃん、Aちゃんとこれからも仲良しでいてね
時々遊んであげてくださいね
という内容の手紙だった
2つの手紙をよんで、2人がこの手紙を書いている姿が
はっきりと思い浮かび、いい友達に恵まれたことに
涙がでた
ほっとしたのと、嬉しかったのと、悲しかったのと
いろんな感情が交じった涙だった
次の日、いつもの場所でAちゃんと待ち合わせ
あたしたちは何事もなかったかのように、いつも通り
たわいもないはなしをしながら登校した
あの時の約束通り、6年たった今もあたしたちは仲良しのままだ
変わったことといえば
Aちゃんの眉毛がなくなったことと
2人の間にある信頼が前よりさらに深くなったこと
その信頼は、呼び方を変えれば
「絆」ともいえるものだと感じた
それをお互い決して口には出さないケド
あたしは受験を通じていろんなことを学んだ
言い換えれば、受験をしたことによって
成長する機会を得ることができたのだと思う
受験は、ほとんどの人が経験するつらくて苦しいものだけど
受験をし、入ることに意味があり、価値がある
なぜか振り返るとなつかしく、胸を熱くするものだ
すくなくともあたしにとってはそういう存在なのである
なんでいきなりこんなことを書いたかとうと、
同じことを中学2年生のとき懐かしんだのを
ふと思い出したからだ
放課後、一人で屋上に走った
空がすっごくキレイだったから
空が見渡せる場所に行きたかったのだ
秋だった
オレンジの空を見上げながら
冷たい風にふかれていると
ふと受験のころを思い出していた
あの時ほど綺麗な空を
またみることができるのかな
今の気持ちを忘れたくなくて
形として残します
その頃、通っていた学校は
学校名を聞けば皆口をそろえて
「うわっ!○○?頭いいんだぁ。。」
と言われる程の進学校だった
もちろん簡単に入れたわけじゃない
その学校は幼稚舎から中等部までの一貫校だった
つまり幼稚舎に入ればエスカレーター式に
中等部まで(アホでも)上がれてしまうのだ
それは、一端幼稚舎に入ってしまえば
中等部まで「すごいわねぇ」といわれる
学校に所属できることを意味する
が、
言ってしまえば、一部を除く
幼稚舎から上がってきたほとんどの人達は
勉強ができなかったと思う
つまり、入ったはいいが
寝ぼけていても中等部まで上がってこれたため
この学校のペースについていけなくなるのだ
もちろん幼稚舎に入るためには
世間一般でいうお受験のようなものが行われる
一次試験として体力、知能、精神力などをテストする
ここまではたいていの子供なら軽い
問題は二次試験の抽選である
あらかじめ、その年の合格者の人数は決められており
毎年、その抽選で一次合格者の半数が落とされる
あたしはこの抽選に3回落ちた
どうしてもあたしをこの学校に入れたかった父親が
幼稚舎の試験3回
小学部の試験1回
あたしに受けさせたが
見事に全部落ちた
小学部の試験においては
一次試験に落ちてしまった
それからあたしは
小学4年から、大好きだったバレエをやめさせられ
塾に通わされた
3歳から続けていたバレエを、もちろんやめたくはなかったが
その時の父親の文句がこうだ
「バレエはまたやりたくなったらすればいい
でも、中学受験は今しかできない。だから中学受験が
おわるまでバレエはお休みしなさい」
過去4回の試験をただ受けさせられていただけのあたしは
中学受験ということばがピンとこず、混乱していたが
父親の勢いに負けてバレエをお休みすることにした
なぜバレエをやめなくちゃいけなかったのか?
塾に通えば、バレエに行っている時間などなくなるし
両立するにはお金がかかりすぎるからだと父親は言っていた
無論、大学受験が終わった今もバレエのお休みは続いている
それから中学受験までの2年間、
ひたすら勉強した
朝は5時に起きて勉強し、
学校が終わればすぐ塾の時間
帰りは夜9時頃だった
家に帰って冷め切った夕食を食べ
眠くなるのを必死でこらえながら
夜中まで勉強していたと思う
効率が悪いとかそういう問題ではない
そのくらいしなければ、課題がおわらなかったのだ
課題というのは、その日の授業でおこなわれた内容の
演習、さらに応用、そして次の授業の予習という
シンプルなものだったが、いままでのんびり過ごしてきた
小学生にはとてつもなく苦しいものでしかなかった
とくに暗記が苦手なあたしを苦しめたのが
予習であった
小学生の手には分厚くて大きすぎる教材4ページを
丸暗記するというものだった
その暗記の量がまた半端じゃなく
新聞の文字と肩を並べるほどの文字たちが
仲良く、隙間なく敷き詰められていた
それでもラインマーカーを何十本と使い切り
その分、教材はピンクや黄色に染まっていった
そのころになると、暗記するべき文字たちの上に
マーカーをすべらせることが
あたしの密かな楽しみになっていた
努力の甲斐あってか、あたしの成績は
徐々にではあったが上がっていった
すると、驚いたことに、成績があがるにつれ
あたしは勉強が好きになっていったのだ
なんというか、楽しくてしかたないのだ
月に1度行われる塾のテストで
いい成績がでるたび
思わず笑っていた
しかし、決して満足はしなかった
いつしか「中学受験合格」というものが
はっきりとした目標になっていた
あたしはその塾を信頼していた
分厚くて大きすぎる教材をぼろぼろになるまで
使い込んだ
そしていよいよ受験の日がやってきた
塾の先生が、皆に受験祈願のえんぴつと
気合いの言葉をくれた
ココロから応援してくれているのが伝わってきて
おもわず涙が溢れた
が、すぐにぐっと堪えて
試験会場に向かった
へんな話だが
あたしはこの日がくるのを心待ちにしていた
どんな問題が出題されるのか、大体予想できていたが
どんな問題が出題されようが
一つ残らず丁寧に解いてやろうと考えていた
それから数日後、合否の通知が家に届く日
あたしは学校があったため、しかたなく学校へ行った
しかし結果が気になり落ち着けずに過ごした
一般の小学校なので、皆地域の中学へ進む
なので、あたしは皆には受験のことは内緒にしておいた
あとで驚かせてやろう、というわけではなく
万が一、落ちたときのことを考えての父親の配慮だった
給食の時間、大好きな給食なのに
まったくスプーンが進まなかった
いつもと違うあたしの様子に気づいた仲良しのAちゃんが
「どーしたのー?元気だせー!」といってくれた時
教室の横の廊下に見慣れた人が立っているのに気づいた
するとその人はあたしに小さく手で「OK」の形を作ると
にっこりと笑った
あたしはそれと同時に「やったーー!」と
ほとんどキャーと叫ぶように言って飛び跳ねた
さっきまで落ち込んでいたあたしが突然嬉びだしたという
事態が飲み込めないクラスの皆からの注目を逃れるのに
苦労した
もっと苦労したのはAちゃんに事情を話すことだった
仲良だったAちゃんにも、受験の話をしないでいた
Aちゃんと「中学一緒に通おうね」とか
「一緒にバスケ部に入ろう」とか、ほかにも
毎日いろんなはなしをして、いろんな約束もしていた
あたしはもちろん受験に受かる気でいたが
もしかして。。という想いもあったため
ただAちゃんの提案に笑顔で賛成していた
Aちゃんに全てを話すとしばらく話しをしてくれなかった
お互い、今話したらかなりの確率でケンカになってしまうことを知っていたんだとおもう
それに、あたしはいっそこのままくちをきいてくれなくても
いいや、ともおもっていた
しかし心のどこかでは、Aちゃんに考える時間を与えているつもりでもあった
心の整理がついたAちゃんから、本音を聞きたかったからだ
それから数日後、きれいな白い封筒をAちゃんは
ふてくされた顔であたしに渡した
家に帰ると、ランドセルをかるったまま封筒を開けた
中には見慣れた文字で書かれたAちゃんの手紙と
見慣れないきれいな字で書かれた手紙が入っていた
Aちゃんはあたしと中学が別々になることより
そのことを秘密にされていたことが悲しいとかいていた
しょうじきむかついた、とも書いてあり、あたしは
Aちゃんの本音であろう手紙を真剣に読んだ
最後に、中学が別々になってもずっと仲良しでいてください
もうひとつの手紙はAちゃんの母親からだった
マリィちゃん、Aちゃんとこれからも仲良しでいてね
時々遊んであげてくださいね
という内容の手紙だった
2つの手紙をよんで、2人がこの手紙を書いている姿が
はっきりと思い浮かび、いい友達に恵まれたことに
涙がでた
ほっとしたのと、嬉しかったのと、悲しかったのと
いろんな感情が交じった涙だった
次の日、いつもの場所でAちゃんと待ち合わせ
あたしたちは何事もなかったかのように、いつも通り
たわいもないはなしをしながら登校した
あの時の約束通り、6年たった今もあたしたちは仲良しのままだ
変わったことといえば
Aちゃんの眉毛がなくなったことと
2人の間にある信頼が前よりさらに深くなったこと
その信頼は、呼び方を変えれば
「絆」ともいえるものだと感じた
それをお互い決して口には出さないケド
あたしは受験を通じていろんなことを学んだ
言い換えれば、受験をしたことによって
成長する機会を得ることができたのだと思う
受験は、ほとんどの人が経験するつらくて苦しいものだけど
受験をし、入ることに意味があり、価値がある
なぜか振り返るとなつかしく、胸を熱くするものだ
すくなくともあたしにとってはそういう存在なのである
なんでいきなりこんなことを書いたかとうと、
同じことを中学2年生のとき懐かしんだのを
ふと思い出したからだ
放課後、一人で屋上に走った
空がすっごくキレイだったから
空が見渡せる場所に行きたかったのだ
秋だった
オレンジの空を見上げながら
冷たい風にふかれていると
ふと受験のころを思い出していた
あの時ほど綺麗な空を
またみることができるのかな
今の気持ちを忘れたくなくて
形として残します
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